箸墓古墳は卑弥呼の墓?

箸墓古墳卑弥呼の墓と言われている。

出土した土器の放射性炭素年代測定によると、240年から260年代に築造されたとされる。

 

卑弥呼が没したのは247年頃。

 

全長276メートル。

前方後円墳なので、前方後方墳や円墳、方墳よりもランクが高いらしい。

大仙陵古墳仁徳天皇陵)が486メートルとのことなので、箸墓古墳も相当大きい。

 

纒向遺跡には全国各地からの土器が出土しており、この地が全国各地と交流があった地であった、とは言えると思う。

 

とすると、やはり邪馬台国畿内にあり、箸墓は卑弥呼の墓か。

 

箸墓は、7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓説があり、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は大物主神の妻となり、その死にあたっては、箸墓の名前の由来ともなった逸話も残っている。

 

卑弥呼はシャーマンだったので、独身という説を私は維持しておこうと思うので、卑弥呼の墓ではない、としようと思う。

 

つまり、卑弥呼 ≠ 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)で、

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は、卑弥呼とは別の人物だと思う。
時代も、もう少し下るかもしれない。

 

出土した土器の年代が卑弥呼の時代に近い、というのは240年から260年代に作られた全国の土器が、その(何十年か)後、纏向にあった勢力に届けられたというのは、どうか。

 

ということで、私は、邪馬台国 九州説を維持し、箸墓古墳卑弥呼の墓ではないのでは、と思っている。

では、卑弥呼の墓はどこに?

九州のどこかに、”径百余歩(約150メートル)の大きな塚”で、"奴婢百余人を殉葬”したものがあるはずだ。

 

その前に、箸墓に行かねば。