なぜ、三尾(さんび)?

古代史に特に関心があるが、要するに歴史が好きである。

歴史好きは、やはり奈良や京都が好きで、今、関心があるのは、高雄、槙尾(まきのお)、栂尾(とがのお)の、いわゆる三尾(さんび)だ。

 

でも、なぜ三尾なのか? 高雄は高「雄」であって、高「尾」ではない。

まあいいか。(*)

 

近々、まずは高雄の神護寺に行こうと思っている。

紅葉の季節になると人で混むので、その前に行きたい。

 

神護寺では、

・金堂の薬師如来

・錦雲渓(きんうんけい)

・鐘楼

五大明王(不動、降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉)

を見たい。

 

栂尾の高山寺では、

鳥獣人物戯画

を見たい。

 

当たり前だが、私が今ここにいる、ということは、私につながる誰かが昔にいた、ということだ。奈良時代の誰かが、私につながっている。

 

そのご先祖様がどこにいて、何をしていたかは知らないが、歴史を訪うことが、ご先祖様の近くに行くような感覚がある。

 

(*)

神護寺に行こうと思い、淡交社の『古寺巡礼 京都 15 神護寺』(平成19年11月6日 初版)を読んでいたら、「かつては、高雄は高尾とも記され」(P121)と書かれていた。これで納得した。 

 

 

 

 

 

箸墓古墳は卑弥呼の墓?

箸墓古墳卑弥呼の墓と言われている。

出土した土器の放射性炭素年代測定によると、240年から260年代に築造されたとされる。

 

卑弥呼が没したのは247年頃。

 

全長276メートル。

前方後円墳なので、前方後方墳や円墳、方墳よりもランクが高いらしい。

大仙陵古墳仁徳天皇陵)が486メートルとのことなので、箸墓古墳も相当大きい。

 

纒向遺跡には全国各地からの土器が出土しており、この地が全国各地と交流があった地であった、とは言えると思う。

 

とすると、やはり邪馬台国畿内にあり、箸墓は卑弥呼の墓か。

 

箸墓は、7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓説があり、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は大物主神の妻となり、その死にあたっては、箸墓の名前の由来ともなった逸話も残っている。

 

卑弥呼はシャーマンだったので、独身という説を私は維持しておこうと思うので、卑弥呼の墓ではない、としようと思う。

 

つまり、卑弥呼 ≠ 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)で、

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)は、卑弥呼とは別の人物だと思う。
時代も、もう少し下るかもしれない。

 

出土した土器の年代が卑弥呼の時代に近い、というのは240年から260年代に作られた全国の土器が、その(何十年か)後、纏向にあった勢力に届けられたというのは、どうか。

 

ということで、私は、邪馬台国 九州説を維持し、箸墓古墳卑弥呼の墓ではないのでは、と思っている。

では、卑弥呼の墓はどこに?

九州のどこかに、”径百余歩(約150メートル)の大きな塚”で、"奴婢百余人を殉葬”したものがあるはずだ。

 

その前に、箸墓に行かねば。

 

邪馬台国はどこにあったのだろう。

邪馬台国がどこにあったかを知りたい。

なぜ知りたいのかは分からない。知りたいから知りたい。

 

知りたいから本を読む。

Youtubeも視る。

ブログも読む。

 

畿内説、九州説、それから阿波説もあるそうだ。

 

私は今のところ「九州説」。

 

青春出版の「図説 地図とあらすじでわかる 邪馬台国」には、日本全国の数多くの比定地が掲載されている。なんと海外説もあるとのこと。

 

卑弥呼没した後、266年から413年の約150年間、中国の歴史書から消えた日本。

この「謎の四世紀」も知りたい。

 

古代史は面白い。